2022年3月19日 @ 大阪・イサオビル     

「モノ」語りは増殖する

気仙沼リアス・アーク美術館「被災物」との出会いから

 


姜信子×山内明美『忘却の野に春を想う』(白水社)刊行記念

「モノ」語りは増殖する

場をひらく言葉    

姜信子


山内明美と私、

二人は3年にわたり、もう逃げ場もないようなこの世界を、いかに生き抜くかを語って来ました。負けて負けて負けつづけても、くじけずに、絶望も希望も捨てずに、来たるべき新しい世界を予祝すること。小さな声で、歌って、踊って、祈って、そうして生きてゆくこと。

 

そんなことをずっと語り合いながら、復興とか、オリンピックとか、新型コロナで断ち切られたものをつなぐことを考え考え、今日という日をここで一緒に迎えようとしていたら、

11年ぶりの大きな地震で山内明美は仙台を出られず……。

 

でも、これも、私たちにとっては織り込み済みのことであるんです。

三陸の暮しの中では、地震も津波も想定外の天災ではなく、30年から50年周期でやってくる文化的な事象なのだということ。地震も津波も暮らしの中の出来事なんです。

 

そういうことを大前提に地域の歴史民俗の展示を形作ってきた気仙沼のリアス・アーク美術館。ここに私を連れて行ったのは、もちろん、山内明美です。そこで、私は、東日本大震災についての常設展示のフロアで「被災物」の展示に出会い、そのキャプションに驚くわけです。

 

それは美術館や博物館ではごくあたりまえの客観的な説明や記録ではなく、学芸員の主観で書きおこされた記憶の物語。

フィクション? 捏造? なぜ?

「補助資料」としてのキャプションなのだ、とリアス・アーク美術館の山内宏泰館長は言います。
いったい、何の補助?  

 

「あの大災害をどう位置づけていくかということを考えた結果として、いわゆる歴史的事実の客観的な陳列をするにではなくて、あくまでひとりの目がどう見たのかということを我々は伝える(中略)。つまり大切な何かを失ったということを、無機質に、客観的に述べてもおそらく大切な何かを失った人たちがそれを普遍的に共有することはないだろうと。それよりは、条件も状況も全然違うんだけれども、ただ一個の人生におけるものすごく大切なモノや人を亡くしたときの悲しみだったら俺だってわかる、という人はいっぱいいるはずでしょう。(中略)。同じ人類であるならば、自分が感じたことを主観的に語っても、それは普遍的に共有されるに違いないし、そうでなければたぶん人は心を動かさないだろうと」

 

なるほど、「被災物」に出会って、私たちも心を動かされた。そして、この物語に応答しようと、最初考えた。

ところが、これが難しい。

なぜ? 

当事者と非当事者という関係性を意識するほどに、非当事者は言葉を失くすんですね。

 

応答しようと試行錯誤の末にたどりついたのは、当事者と非当事者の二人の対話ではなく、三人の対話を形作る、ということでした。

当事者と非当事者の関係性を越えて、三人目の対話者に「被災物/モノ」に揺さぶられた私が、自分自身の「モノ」語りを語りだす。

今まで誰にも語っていなかったことを、封印をはがすようにして語りはじめる、

私の大事なモノ、モノと共に在った暮らし、モノともにあった大事な人の、唯一無二の記憶を小さな声で語りだす、

そんな声を、私にとって切実なモノ語りを、どんどん増殖させる、

それが私たちの応答、

そうやって、何かの力で、封じられていた個の記憶を放つ、

何かの力で決まりきった型に押し込められていた、私の決して型通りではない記憶を放つ、

 

「被災物」の前に立った、たったひとりが「想像したこと」が、リアス・アーク美術館の被災物展示の「最終形態」になる。これは館長の言葉です。

 

だとすれば、今日、ここ、大阪のイサオビルに、被災物の前でさまざまな想像を繰り広げた私たちが「モノ」語りを携えて集うこの場もまた、リアス・アーク美術館です。

 

ということで今日も物語を増殖させます。

第一部 前半    ピヨピヨ団編

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 オープニング/ 趣旨説明(姜信子)

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 シャノン&ケセランぱさらん

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 小さき「モノ」に寄り添う 
  岡竹まこと

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     香炉           旅するカタリ
   (渡部八太夫&姜信子)

      第一部後半   一般参加編

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  CSアンテナ                           伴戸千雅子  with 岡竹まこと

            第一部    終わり と始まり

           ~漂流するヒルコ、そして恵比寿の到来~

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深い闇。
私はいったいどこにいるのだろう。

 ひどく寒い。そして凍りつくように冷たい水。

遠くから声が聞こえる。私の名を呼ぶ声が聞こえる。

誰かが私の名前を呼んでいる。

 

私は記憶の糸をたぐっていく。

あの日、地面が大きく揺れた。私は大きな津波にのみこまれた。

大きな爆発音も聞いた。私はそのまま気を失っていた。

それ以来、私はこの冷たい海をさまよっているというのかー。

 

漂流の日々ー。

そうだった。私は幼いころにも同じ経験をしている。

私の父の名はイザナギノミコト、そして母の名はイザナミノミコト。

私が三歳になった頃、二人は私を小さな葦船に乗せて海に流した。

私がちゃんと歩けず、五体が満足でないという理由で。

 

私はわけがわからなかった。

私は父と母のもとでもっともっと暮らしていたかった。

暑かった。カンカン照りの海を私はさまよった。のどはカラカラだった。

そして、寒かった。冷たい海を私はさまよった。

そして、何よりも、私はさびしかった。

 

何年も流されるうち、私は海を泳ぐ魚と友達になった。

私は魚の言葉がわかるようになっていた。

クジラやイルカとも友達になった。

私はクジラやイルカの言葉がわかるようになっていた。

海の底の岩や石の言葉もわかるようになっていた。

私は、海で遭難して死んでしまった者とも会話をした。

遠く海の彼方から流されてきた人とも友達になった。

そして、津波で流され、壊れてしまったものたちとも仲良くなった。

 

私は、海のことがわかり、海に生きる生き物のことがわかり、

また、海をただようあらゆるものたちのこともわかるようになっていた。

いつの間にか、私はさびしくなくなっていた。

 

私を乗せた葦船は、西宮の鳴尾の浜にたどりついた。

運よく、私は漁師さんに引き上げられた。

お疲れになったでしょう。お腹がすいたでしょう。のどが渇いたでしょう。

漁師さんは私を丁重にもてなしてくれた。

私は救われた。

 

私は、遠く異国の地からやってきたものたち、

流されて傷ついてしまったものたち、悲しみを背負いながら生きるものたち、

海を漂うあらゆるものたちと、ともに生きよう。

私はそう誓った。

 

ひるこ、ひるこよ。お目覚めなさい。

えびすさん、えびす三郎左衛門さん。お目覚めください。

 

目覚めよと、呼ぶ声が聞こえる。11年目の春。

「えべっさま、ようきてくれましたな」 

                                                                                                                                                        武地秀実


 2011年3月11日に起こった東日本大震災。私は、西宮の苦楽園で取材に歩いていた。少し休もうと入ったカフェで、津波の映像を目の当たりにした。岩手の三陸海岸の街になだれ込む海水はまさに生きている怪物のように、見つけたものはすべて飲み込もうといたるところを探し求めるように見えた。これが、今起きていることなのか?嘘だ!テレビの向こうのドラマではないのかと思った。何もできない、ただ、助かってと画面を見ながら必死で祈るだけだった。

 それから1年半後の2012年10月、私は宮城県女川町の仮設住宅を回っていた。兵庫県西宮市で、「歌おう、笑おう、踊ろう」の頭文字をとって、「うわお!」というグループを作って、20人ほどが、町民たちに少しでも笑ってもらおうと西宮市が復興支援をしていた女川町にたどり着いたのだった。狂言とお笑いオペラがメインプログラムで、私はチームの事務局として参加したのだが、とにかく自己満足であろうと、仮設住宅でえびす人形を回したかったのだ。海に消えた命とえびすは同じものなのだと聞こえてくるからだ。

 公民館のような集会所が作られ、そこで演じてもらいたいということで、皆は衣装をつけ出演の準備に追われていた。私は「仮設の人に宣伝してきます」と言い、えびす人形を抱いて仮設に向かった。

関西ならば残暑もきつい10月上旬だが、肌寒く、ひとっこひとり外を歩いていなかった。なんとも言えない重苦しい寂しさが漂っていた。ガラス越しに見えた部屋の中には、いくつもの遺影が置かれている。どうやって暮らしているのだろう、何を思い何を糧に生きているのだろう、希望はあるのだろうか・・私はここで何ができるのか?自問自答しながら一人で歩いた。えびす人形に片手を入れても、えびすさまは微動だにしなかった。
どうする?空を見上げながら自問自答。そのとき、私の片手は動き、大きな声が腹の底から出てきた。「西宮の大神、えびすが舞い降りた、舞い降りた。西宮の大神 えびすが舞い降りた、舞い降りた・・」夢中でその言葉だけを叫びながらえびすさまを高く上げて私は回していた。

 仮設住宅をぐるぐると回った。「えびすが舞い降りた」の次の言葉が出てこない。いつもの「福を配りにやってきた」とは声に出ないのだ。しばらくして、仮設住宅のある家の玄関が開いた。「えべっさまがやってきたのか?」おばあさんが、私を見つけて駆けつけてきたのだ。思わず、振り向くと、私は涙がこみ上げて声がでない。おばあさんは「おおえべっさんじゃ」と言って人形と私を抱きかかえた。「私の父ちゃんは漁師でな、大漁のときはえべっさまがやってきたんじゃと言うて、いつも大きな声で喜んだもんじゃった。いつもえべっさまに手を合わせて漁にでたんじゃ。父ちゃんは帰ってこん。私をおいて海の中に行ってしもうたわ。もう、えべっさまと一緒になっとるんかな。それなら嬉しい。ようきてくれましたな」と、言うて涙を流して何度も何度もえびす人形を撫でられた。私は何も言えず、ただ寄り添っているだけだった。「おばあちゃん、もう少ししたらえびす舞をするから集会所にきてね」と、やっと声に出して笑って握手をすることができた。

傀儡子は、産土の神に捧げる舞を舞い、歌い、祈りを捧げ、神の来訪の物語を人々に伝えてきた。声や舞い踊る身体は、この世に風穴のごとき「場」を開いていった。風穴から神がやって来る。そして、死者たちも還ってくる。
笑えないときにも笑い、舞い歌い語ることで、目に見えぬ、耳に聞こえぬモノたちを笑いの中に抱いていく。そして人々の心を平らにして新たに始まる。
私は、お囃子もなく、えびす人形だけで一人歌い語り舞った。えびすさまと一体となって私は舞った。

歌おう、笑おう、踊ろう・・
風穴をあけ、場を開こう・・と。