被災物
「モノ」語り workshop
記憶に触れる、声を聞く、共に生きてゆく物語を紡ぐ
「被災物(ひさいぶつ)」とは?
text by 「モノ」がたり workshop 委員会
気仙沼のリアス・アーク美術館にて、「東日本大震災の記録と津波の災害史」というテーマで常設展示されている「モノ」です。この「被災物/モノ」は、震災直後からおよそ2年にわたって被災の現場で拾い集められてきました。
ここで私たちが「被災物」を「モノ」と呼ぶのは、それが単なる瓦礫でも、残骸でも、ましてやゴミなどではないからです。人々と暮らしを共にし、人々と共に大地震と津波を経験し、人々と記憶を分かち合い、人々と共に生きてきた物語を孕み、人々と共に生きてゆく祈りを宿す、そのような意味において、魂ある「モノ」だからなのです。
この一つ一つの「モノ/被災物」の記憶を、リアス・アーク美術館では展示のキャプションとして添えてあります。これは驚くべきことでした。物言わぬ「モノ」たちの声を、学芸員が聞き取って、書き記した《「モノ」がたり》だったのですから。それは、あたかも、路傍の名もなき石仏、道祖神、風土の無数の小さな神々を前にした者たちのひそやかな呟きを聞くようでした。こうして《「モノ」がたり》は生まれ、語りつがれていくのだろうと思いました。
私たちにとって、リアス・アーク美術館の「被災物」展示との出会いは、《「モノ」がたり》のはじまりの光景に出会うことでした。
「モノ」がたり workshop とは?
人は「モノ」に触れれば、「モノ」とともにあるみずからの記憶、自身の生の物語をおのずと思い起こすものです。そして《「モノ」がたり》が動きだす。
「被災物」とその《「モノ」がたり》に触れたとき、私たちは、震災の記憶を受け取ると同時に、私たち自身の《「モノ」がたり》が動きだすという稀有な体験をしました。それは記憶を語り伝えるということ、「モノ」語るということへの深い気づきへと私たちを導きました。
「記憶」とは、過去の単なる「記録」ではないのだということ。
「記憶」を継承するとは、「命」をつないでゆくことなのだということ。
生きてゆくためにこそ、人は《「モノ」がたる》のだということ。
《「モノ」がたる》人は、祈る人でもあるのだということ。
だから、人は、太古より、くりかえし《「モノ」がたって》きたのだということ。
そして、私たちはそれを忘れてしまっているということ。
「モノ」がたり workshop とは―――
「被災物」の《「モノ」がたり》と出会い、その命の記憶に触れ、その声に応答することによって、 みずからの《「モノ」がたり》にも出会いなおし、それをみずからの声と体で語りだす「場」を開く試みです。
「被災物」という「モノ」が記憶のつなぎ目となり、物語の扉となります。
それは、生きてゆく私たちひとりひとりにとっての、他者の記憶を語りつぐこと、物語ってゆくことの意味を問い直す「場」を開く試みでもあります。
私たちの記憶や物語や命を、私たちではない他の何者かに盗まれたり、都合よく使いまわされたり、 封じられたりしないためにも。
[workshopの方法]
① ワークショップ参加者には、事前に画像とキャプションを見ていただいて、応答の準備をしていただきます。
※画像とキャプションはここをクリック
② スクリーンに大きく投影された「被災物」の画像の前に立ち、 「被災物」の声を聞き、その「モノ」がたりと出会うことをとおして自身のうちに想起された「モノ」にまつわる記憶のつぶやき・問いかけ・呼びかけ・詩・歌・身体表現等々、自分なりの「モノ」がたりを人びとに向けて語りかけます。
※参考例はこちらをクリック
③ 参加者全員で、それぞれに「モノ」がたりの振り返りをします。
④ 本ワークショップは記録します。
※本HPにアップされ、またワークショップでも用いられる「被災物」の画像とキャプションは、
リアス・アーク美術館より 使用許可をいただいているものです。